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◆第4番 皇帝◆

具現化

行動する

◆キーワード

《正位置》

具現化、行動、実行力、指導、経営、権威、手腕、父、中年の男性、経営者、上司、リーダーシップ

《逆位置》

行動していない、社会的責任が取れない、困難な実現化、見栄を張る、傲慢、自信過剰、パワハラ、主観的リーダーシップ

◆皇帝の象徴

王冠を戴く男性が玉座に足を組んで座っています。足を十字に組んでいるのは、数字の4を示しているとも言えますが、数字の4と木星記号が似ていることから、彼が木星的気質を備えていることをも示唆しています。それは常に積極的で、仕事に妥協せず、天性の支配者であり、指導者であるということです。

また、この座り方は弥勒菩薩半跏思惟像とも似ています。右足を浮かせているのは、地上の価値観だけによらず、判断の軸が半身は天にあることを示しています。つまり彼は天地の意思を実現させているのです。

彼の背後には隠された二本の柱はなく、彼が座しているのは野外です。その手段は神聖というよりは、むしろ現実に根ざしたものなのでしょう。彼の左腕に逆さの百合の紋章が描かれていることからも、彼の手段は一見、神聖なものではないように見えるかもしれません。しかし、彼は首に緑色の十字が施された黄金のペンダントをかけています。緑はハートチャクラの色であり、彼のハートは開かれていることを示しています。

さらに彼の体は正面を向いておらず、横向きに描かれています。横向きに描かれた王として世に知られているものにトランプのダイヤのキングがあります。このダイヤのキングのモデルは諸説ありますが、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)であるとされています。彼は古代ローマの政治家として手腕を発揮しました。彼の役割は国を拡大させ、繁栄させることです。つまりこの皇帝も現世利益的な実現化を目指しているのです。しかし皇帝の元型はギリシャ神話のゼウス(ユピテル)であろうと考えられます。カエサルはゼウスの力を模したのでしょう。皇帝は神の力の権限であると考えられていたからです。

その証拠に、皇帝は右手に地球の支配権を表す王笏を手に持っています。女帝と同じ王笏ですが、実際にその権力を振るうのは彼であることを示しています。彼は左側を向いていることから、女帝の意見を取り入れながら、過去を踏襲して現実化してゆくのでしょう。

皇帝の冠をよく見ると、コンパスでできています。左手は腰のベルトを持っているようにも見えますが、視点を変えれば定規を持っているようにも見えます。つまり、彼は天の設計図を地上に降ろす建築家でもあるのです。コンパスと定規はフリーメイソンの象徴と似ています。フリーメイソンにおいて、これらの建築道具は人間の美徳と対応しており、コンパスは真理、定規は道徳を表しています。彼の目的は、真理と道徳によってこの地上に理想の王国を建設することなのかもしれません。

彼の足元には鷲の紋章の盾が置かれていますが、女帝の盾とは異なり、着地しようとしています。これは彼が天意を地上に降ろし、現実化することが役目であるということを示しています。鷲が卵を温めていることから、現実化の過程において何か神聖なものが産み出される可能性があります。

全体において皇帝のカードは積極的な行動力が強調されていますが、それは明確なヴィジョンを有する女帝とのパートナーシップがあって初めてその手腕が発揮されるというものです。皇帝は現実化する場面においては能動的ですが、女帝との関係においては受動的なのです。女帝が3という奇数を担い、皇帝が4という偶数を担うのはこのような意味からなのかもしれません。女帝の元型が戴冠後の聖母マリアであるとすると、そのパートナーである皇帝は最高神ゼウスの化身として国造りを実行するのです。

◆ペアカード

第3番 女帝:男性権力者に対する女性権力者、夫婦、社会的パートナー

※注:フリーメイソン
18世紀初頭より自由な友愛を求め結成された国際的な親善団体。中世の石工(メーソン) ギルドの流れをくみ、徒弟制に類似した名称の階級が存在する。ロンドンに結成されたのが始まりで、全世界に「ロッジ」と呼ばれる支部をもち、ヨーロッパからアメリカに急速に広がった。フランス革命やドイツの啓蒙思想、米国独立などに影響を与えたといわれる。非公開の入社式、合言葉、儀礼をもつ。日本語でよく知られる結社名のフリーメイソンは、英語で結社の会員を意味する「Freemason」から来ており、本当の結社名はフリーメイソンリー「Freemasonry」である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆第5番 法王◆

伝達

教える・教わる

◆キーワード

《正位置》

伝達、伝播、教える、教わる、指導、学校、教育、組織、制度、寺院、専門家、宗教、祝福、祖父、晩年の男性、精神的指導者

《逆位置》

教えるのを拒む、教わることをしない、伝統を受け入れない、伝達しない、独りよがり、世間とのギャップ、組織に服さない

◆法王の象徴

斎王と同じく三重冠を被った法王が、二本の柱を背にして座っています。斎王や女帝とは異なり、二本の柱はヴェールで隠されてはいません。彼は公に法を伝達する役割を担っており、神聖さを隠すのではなく、多くの人に広めることを目的としているのでしょう。法王は聖なる権威の下に、神殿や学校において伝統的な教えを弟子たちに伝えています。彼が弟子に伝授する法は、世間の規範として活用されている法律のことではなく、宇宙の法、調和と愛を実践するための法(ダルマ)です。

彼は白髪であるため、多くのことを経験した賢者であるように見えます。また、特殊な髪型をしています。これはユダヤ教徒の独特の髪型とされる「ペイオト」です。「ペイオト」は耳の前の毛を伸ばしてカールさせる髪型です。これは古墳時代の日本古来の髪型である「みづら」とも似ています。神聖な髪型は世界共通なのかもしれません。また口ひげの部分だけが水色であるのは、彼の口から出る言葉は神聖であるということを示しています。

右手は祝福の印を結びながらも弟子の方を見ているわけではありません。彼の視線は大アルカナ曼荼羅という宇宙観からすれば、隣のカードの天使を見ているというようにも解釈できます。それはつまり、これから起こるであろう未来の何かを観て祝福を送っているのかもしれません。

左手には三重の十字の杖を持っています。この三重の十字は斎王の胸の襷の飾りと同じです。斎王ではハートが宇宙と繋がっているということを示す象徴でしたが、法王にとってそれは権威の象徴であり、人々を動かす根拠そのものなのです。その杖を持つ手は水色の手袋をしています。宇宙と繋がるには神聖でなければならないのでしょう。杖を持つと共に花の蕾のようなものも掴んでいます。これは観音菩薩が蓮の花の蕾を持っているように、人々の目覚めを促すために真理を伝達するということが彼の役割であるということを示しています。

彼の両手の甲にはマルタ十字の紋章があります。マルタ十字は、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の象徴であり、本来は四つのV形をした紋章が花弁のように中心で十字に結合した形をしています。マルタ十字には八つの角があるのですが、その八つの角は騎士道に置ける八つの美徳を象徴しているとされています。その八つの騎士道精神とは、①忠誠心 ②敬虔さ ③率直さ ④勇敢さ ⑤名誉 ⑥死を恐れないこと ⑦弱者への庇護 ⑧教会への敬意です。法王はこのマルタ十字に象徴される道徳を広めることを使命としているのでしょう。

赤のマントに青に緑の法衣を身につけていますが、赤はキリスト、青は聖母、緑はマグダラのマリアを示しており、彼はこの三聖人の三位一体の代弁者として、弟子に真理を伝達しているのです。また、赤、青、緑は光の三原色を表しています。光の場合にはこの三つの色を使うとほぼ全ての色が再現でき、三色を重ねていくと白になります。彼は光の三原色である三位一体を成し遂げ、今まさにその原則を弟子たちに伝えているのです。法衣を止める緑のボタンには、太陽の象徴である円の中心に丸がある紋章が施されています。緑は赤の補色であり、目に見える物質的な太陽ではなく、心の中の太陽を意味しています。

彼の前にいる弟子は二人のようにも見えますが、右手側から突き出した手も見えるので、三人のようにも見えます。また左側の弟子の肩のあたりには黄色い帽子を被った人がいるようにも見えます。実際にそこに存在する弟子以外にも、見えない弟子も共に法王の語る真理を傾聴しているのかもしれません。

弟子の頭頂部は剃られています。これはカトリック教会の修道士の髪型「トンスラ」です。これは磔刑となったイエス・キリストが頭に被せられていたいばらの冠を模しているとされています。しかし実際には、頭頂部から啓示が降りてくるため頭を剃ることで神聖さを強調したのであろうと思われます。つまり、法王の前の弟子たちがトンスラの髪型をしているのは、彼らが天からの啓示をすでに受け取っている人たちであることを示しています。トンスラは俗世と決別した聖職者のアイデンティティの一部であり、トンスラをしていることが聖俗を明確に分けるしるしでもあったとされています。

また、二人の弟子の間には、白と青の玉が見えます。これは陰陽太極図であり、彼らは宇宙原理の基礎である陰陽の対立と相補性について学んでいるということを表しています。

この5番 教皇のモデルはローマ教皇であると思われますが、ローマ教皇の始まりは、イエスの弟子であったペテロとされております。初期のローマ司教はイエスの使徒とされるペトロの後継者、ペテロの代理者を任じていましたが、時代が下って教皇の権威が増すに従って、「イエス・キリストの代理者」と評するようになったと言われています。ペテロがなぜ法王とされたのかという根拠は、マタイによる福音書の第16章18節から19節にあるイエスのペテロに対する言葉であるとされています。

「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されている。このことは血と肉によってではなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペテロ)である。この岩の上に私の教会を建てよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである」

この聖書の記述から「天国の鍵」のデザインが教皇の紋章に取り入れられています。銀の鍵は現世的な権威を、金の鍵は宗教的な権威を示しているとされています。

「天国の鍵」をイエスに付き従ったペテロが持っているということは、天国に入るためにはペテロのように師(主)に仕え、真理を学び、実践することが鍵であるということを示しているのではないでしょうか。

本来の法王は父なる神あるいはその代理である神の子キリストとされています。ペテロはその父なる神に仕えた使徒ということになります。教えに従うことで教えられ、仕えるということで師と近づくことができるということではないでしょうか。

◆ペアカード

第2番 斎王:男性司祭に対する女性司祭、老夫婦、陰陽の相補関係

◆第6番 恋人◆

中庸

相談する

◆キーワード

《正位置》

中庸、相談、選択、介入、妥協、伴侶、結婚、交友関係、エロス(愛欲)とタナトス(死)、二元的思考、私的なパートナー、恋人

《逆位置》

迷い、独断、極端、誤った選択、仲介不成立、妥協できない、気まぐれ、禁断の恋、パートナーではない、コミュニケーション不足

◆恋人の象徴

ライダー版の恋人のカードには、旧約聖書の創世記に登場する最初の人間であるアダムとイブが描かれています。このアダムとイブは、エデンの園から追放される前のまだ純真無垢な二人であり、黄金の太陽と天使に守護されています。イブの背後には蛇が巻きついた善悪の知識の木があり、アダムの背後には十二の果実が実った生命の木があります。さて、彼らは一体どちらを選ぶのでしょうか。遠くにそびえる山は、二人が超えるべき試練を暗示しているかのようです

ライダー版に対してカモワン版タロットでは、青年が花飾りをつけた少女と年配の女性の間に挟まれてどちらを選択しようか迷っているかのような構造になっています。これは「美徳(愛)」と「悪徳(欲)」のどちらを選択するかで迷っている状態を表しているとされています。青年は花飾りをつけた青い袖の女性に手を伸ばしつつ、青葉の冠をつけた赤い袖の女性の方を向いています。しかしこの赤い袖の女性は、青年の肩と腰にしっかりと手をかけています。

この一人の男性に二人の女性の図式は、日本神話に登場する天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と国津神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の二人の娘である磐長姫(いわながひめ)と木花開耶姫(このはなさくやびめ)の話と似ています。磐長姫は木花開耶姫と共に瓊瓊杵尊の元に嫁ぎますが、磐長姫が醜かったことから父の元に送り返されてしまいます。大山祇神はそれを怒り、「磐長姫を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花開耶姫を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」として、瓊瓊杵尊が磐長姫を送り返したことで寿命は短くなるだろうと予言しました。

『日本書紀』には、瓊瓊杵尊に嫌われた磐長姫が、妊娠した木花開耶姫を「私を妻に娶っていたら生まれる子供は岩のように長い寿命を得られたのに、妹の子ではこの花の如く儚く散るでしょう」と呪ったと記されており、それが人の短命の起源であるとされています。

このような神話は世界中にあり、社会人類学者のジェイムズ・フレイザーが「バナナ型神話」として命名したものです。「バナナ型神話」とは、神が人間に対して石とバナナを示し、どちらか一つを選ぶように命ずると、人間は食べられない石よりも食べることのできるバナナを選びます。しかし、硬く変質しない石は不老不死の象徴であり、ここで石を選んでいれば人間は不死(または長命)になることができたのにバナナを選んでしまったためにバナナのように脆く腐りやすい体になって人間は死ぬように(または短命に)なったとされる説話です。

この6番の恋人のカードも、このような究極の選択を迫られているのでしょう。確かに、青年の両足は左右に開かれ、どちらを選択するか迷っているようです。しかしその決定権は彼にはないのかもしれません。弓矢を構えてどちらを選ぶかを吟味しているのは、彼の頭上のキューピッドであるかもしれないからです。しかし、三人とも頭上のキューピッドの存在には気づいていません。自分たちで自分の運命を決めていると信じているのでしょう。

花の冠の女性が着用する青い袖は天使の翼のようでもあり、彼女は清純な「美徳」を象徴しています。他方、青葉の冠の女性は、尖った赤い袖が悪魔の翼のようにも見えるため、呪いをかけるような「悪徳」を象徴しています。さて、彼はどちらの女性を選ぶのでしょうか。その選択が大きな試練であることは間違いないようです。頭上のキューピッドは花冠の女性を狙っているように見えますが、しかしそれは死を意味するようです。なぜなら、天使の背後にある白い太陽は弓矢の形に変形しているため、見方によっては骸骨のようにも見えます。白い骸骨の太陽からは赤と黄色の光が放射されており、人間の選択は実は無意識に天の意図を受け取って成されていることを示しています。

人間の恋愛は愛か欲かという選択の連続です。この愛か欲かという選択によって行く先が分かれるのです。しかし選択している当の本人はその重要性にまだ気づいてはいません。この恋人のカードは人の一つひとつの選択が、実は目に見えない何かによって誘導されており、選択自体が今後の運命を決める試練なのだということを示しています。 世界中に広まっているバナナ型説話から推測すると、私たちはどちらかを選択しなければならないと思い込んでいますが、もしかするとどちらも選択する中庸という方法があるのかもしれません。どちらかではなく、どちらも選択する中庸という方法を見出すことが最善の選択であることをこのカードは示しているのでしょう。

◆ペアカード

第20番 審判:運命を理解していない人たちに対する運命を理解している人たち

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