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◆第6番 恋人◆

中庸

相談する

6番恋人

◆キーワード

《正位置》

中庸、相談、選択、介入、妥協、伴侶、結婚、交友関係、エロス(愛欲)とタナトス(死)、二元的思考、私的なパートナー、恋人

《逆位置》

迷い、独断、極端、誤った選択、仲介不成立、妥協できない、気まぐれ、禁断の恋、パートナーではない、コミュニケーション不足

◆恋人の象徴

6番ライダー版恋人

ライダー版の恋人のカードには、旧約聖書の創世記に登場する最初の人間であるアダムとイブが描かれています。このアダムとイブは、エデンの園から追放される前のまだ純真無垢な二人であり、黄金の太陽と天使に守護されています。イブの背後には蛇が巻きついた善悪の知識の木があり、アダムの背後には十二の果実が実った生命の木があります。さて、彼らは一体どちらを選ぶのでしょうか。遠くにそびえる山は、二人が超えるべき試練を暗示しているかのようです

ライダー版に対してカモワン版タロットでは、青年が花飾りをつけた少女と年配の女性の間に挟まれてどちらを選択しようか迷っているかのような構造になっています。これは「美徳(愛)」と「悪徳(欲)」あるいは「霊体」か「肉体」のどちらを選択するかで迷っている状態を表しているとされています。青年は花飾りをつけた青い袖の女性に手を伸ばしつつ、青葉の冠をつけた赤い袖の女性の方を向いています。しかしこの赤い袖の女性は、青年の肩と腰にしっかりと手をかけています。

この一人の男性に二人の女性の図式は、日本神話に登場する天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と国津神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の二人の娘である磐長姫(いわながひめ)と木花開耶姫(このはなさくやびめ)の話と似ています。磐長姫は木花開耶姫と共に瓊瓊杵尊の元に嫁ぎますが、磐長姫が醜かったことから父の元に送り返されてしまいます。大山祇神はそれを怒り、「磐長姫を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花開耶姫を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」として、瓊瓊杵尊が磐長姫を送り返したことで寿命は短くなるだろうと予言しました。

『日本書紀』には、瓊瓊杵尊に嫌われた磐長姫が、妊娠した木花開耶姫を「私を妻に娶っていたら生まれる子供は岩のように長い寿命を得られたのに、妹の子ではこの花の如く儚く散るでしょう」と呪ったと記されており、それが人の短命の起源であるとされています。

このような神話は世界中にあり、社会人類学者のジェイムズ・フレイザーが「バナナ型神話」として命名したものです。「バナナ型神話」とは、神が人間に対して石とバナナを示し、どちらか一つを選ぶように命ずると、人間は食べられない石よりも食べることのできるバナナを選びます。しかし、硬く変質しない石は不老不死の象徴であり、ここで石を選んでいれば人間は不死(または長命)になることができたのにバナナを選んでしまったためにバナナのように脆く腐りやすい体になって人間は死ぬように(または短命に)なったとされる説話です。

この6番の恋人のカードも、このような究極の選択を迫られているのでしょう。確かに、青年の両足は左右に開かれ、どちらを選択するか迷っているようです。しかしその決定権は彼にはないのかもしれません。弓矢を構えてどちらを選ぶかを吟味しているのは、彼の頭上のキューピッドであるかもしれないからです。しかし、三人とも頭上のキューピッドの存在には気づいていません。自分たちで自分の運命を決めていると信じているのでしょう。

花の冠の女性が着用する青い袖は天使の翼のようでもあり、彼女は清純な「美徳」を象徴しています。他方、青葉の冠の女性は、尖った赤い袖が悪魔の翼のようにも見えるため、魔術を扱うような「悪徳」を象徴しています。さて、彼はどちらの女性を選ぶのでしょうか。その選択が大きな試練であることは間違いないようです。頭上のキューピッドは花冠の女性を狙っているように見えますが、しかしそれは死を意味するようです。なぜなら、天使の背後にある白い太陽は弓矢の形に変形しているため、見方によっては骸骨のようにも見えます。白い骸骨の太陽からは赤と黄色の光が放射されており、人間の選択は実は無意識に天の意図を受け取って成されていることを示しています。

人間の恋愛は愛か欲かという選択の連続です。この愛か欲かという選択によって行く先が分かれるのです。しかし選択している当の本人はその重要性にまだ気づいてはいません。この恋人のカードは人の一つひとつの選択が、実は目に見えない何かによって誘導されており、選択自体が今後の運命を決める試練なのだということを示しています。

世界中に広まっているバナナ型説話から推測すると、私たちはどちらかを選択しなければならないと思い込んでいますが、もしかするとどちらも選択する中庸という方法があるのかもしれません。どちらかではなく、どちらも選択する中庸という方法を見出すことが最善の選択であることをこのカードは示しているのでしょう。

◆ペアカード

第20番 審判:運命を理解していない人達に対する運命を理解している人達、近場と遠方

◆第7番 戦車◆

前進

開拓する

7番戦車

◆キーワード

《正位置》

前進、邁進、勢い、言動一致、周囲からの協力、強気、勝利、事業の成功、海外旅行、積極的な開拓、理想の男性

《逆位置》

勇み足、暴走、高望み、勇気がない、才能に気づいていない、怠惰、大言壮語、事故、危険な相手、競争相手に敗北

◆戦車の象徴

王冠を戴く甲冑に身を固めた人物が二頭立ての馬車に乗っています。彼は左側を見ているので、自分が歩んできた過去の数々の試練を振り返っているのでしょう。両肩の肩章に施された人の顔は、六番の恋人のカードに記されていた「美徳」と「悪徳」あるいは「霊体」と「肉体」の両方を選択した証なのかもしれません。彼は今や物事の二極性のバランスを巧みに操り、戦車を操縦する御者としての能力を身につけたのです。つまりそれは意思と言葉と感情と行動という四輪が統合されたということでもあります。彼に恐れることは何もありません。ただ前進あるのみです。

彼の乗る戦車には星が散りばめられた天蓋があることから、彼はこの世における人生を進んでいるだけではなく、宇宙的な道(タオ)を歩んでいることを示しています。彼の進む道は天の意思でもあるのです。また、天蓋を支える四つの柱は青と黄色に彩られています。青は天、黄色は地を表しています。

さらに、柱の中心には合わせた貝のような装飾がなされています。合わせた貝は上下の貝殻が同じものでないと決して合わさることがないことから、宿命的な伴侶を意味することがあります。日本においても、平安時代に起源があるとされる貝合わせという遊びがあります。貝合わせに使用される貝はハマグリが多いのですが、ハマグリは二枚貝であり、二枚貝は上下の貝殻が同じものでないと決して合わさることがありません。このようなことから、ひな祭りでは良縁や夫婦和合の象徴として、ハマグリを使用した貝桶を飾り道具の一つとしています。この戦車の天蓋を支える合わせ貝のような装飾は天地和合を象徴しているのでしょう

彼が手にする王笏は、女帝や皇帝が持つ地上の支配権を示す王笏とは異なり、太陽と月が合体した陰陽太極(すべての物の実在を規定する唯一の根元)の象徴であり、さらに天の頂点である至高の三角が施されています。彼は地球だけでなく、宇宙全体の支配権をも有しているようです。つまり、彼は陰陽両極を自由自在に使いこなす智慧と技術を身につけたのです。

戦車の車輪は二輪ともコーチ(馬車の人が乗る部分)に直角に取り付けられているため、この状態では前進できないように思えます。しかし何ら問題はありません。なぜなら彼の乗る戦車は過去と未来を行き来する時空を超えた乗り物であるからです。さらに、彼が立っている正方形のコーチは彼の下半身と一体化しており、彼が人馬一体となって行動に邁進していることを物語っています。正方形は大地の象徴であり、彼の上半身(意思)は天にあり、下半身(行動)は大地にあるといった暗示でもあります。

7番ライダー版戦車

またコーチの中央には緑の雫のような紋章が施されています。これは火(△)と水(○)の合体形であり、この戦車が水と火という矛盾する二つのエネルギーの融合によって創造されたものであることを示しています。緑という色が使われているのは、柱である青と黄色を混ぜた色を表しています。彼は過去において、矛盾する二つのものを融合する試練に勝利したのでしょう。また、この雫の形は如意宝珠の形でもあります。如意宝珠はあらゆる望みが意のままに叶うとされる玉であり、彼が進むところ彼の望みが悉く叶っていくということを意味しています。

また、彼を運ぶ二頭の馬は親子のようです。胸には太陽の紋章をつけており、高貴な馬であることがわかります。右側の母馬は片目をつぶっており、左の仔馬は両目を開いています。この二頭の馬は聖母子の象徴です。この母馬が片目を閉じているのは、至高の三角の中のプロヴィデンスの目を暗示しています。彼を前進させるのは聖母子の思し召しなのです。

ライダー版の戦車では、二頭の馬はスフィンクスで表現されています。これは彼がスフィンクスの謎に答え、精神的な勝利を収めたことを表しているとされています。このスフィンクスが白と黒であるのは、白が天使を、黒が悪魔を象徴しており、彼はどちらの存在をも受け入れ、操っていることを象徴しています。彼は光と闇両方の手段を得たことで、あらゆる望みを叶えることができるようになったのです。また、その両者を共に操ることができるのは、神の子だけであり、彼自身が宇宙の中心であることが、馬車の中央に飾られた駒と有翼円盤の紋章によって示されています。

彼は今や愚者から勝利者へと変容したのです。彼の乗る戦車は、戦いのための戦車ではなく、彼が多くの魂の経験を積んで精神的錬金術を達成させ、自身の魂を人の子から神の子へと生まれ変わらせたことを示しています。彼は人の魂を進化させるための錬金術の導師なのです。

戦車のカードの甲冑を身につけた人物のモデルは大天使ミカエルであるとされています。つまり彼は人間という領域を超えて天使へと生まれ変わった存在なのです。大天使ミカエルは天使の中でも神に最も近い存在と伝えられ、その名前の意味は「神に似た者」とされています。

ミカエルは神に反逆を企てたサタン(悪魔)を退治したことでも知られています。キリスト教ではサタンはルシファーと同一視されていますが、ルシファーは元々天使長の地位にあった天使だったと伝えられており、ミカエルとルシファーは双子であったという説もあります。ルシファーは天使が人間に仕えることに不満を持ち、反旗を翻します。ヨハネの黙示録には、終末にミカエルとルシファーが対立し、ミカエルが勝利すると記されており、敗北したルシファーは堕天使として地の底に封じ込められるとされています。しかし7番の戦車の図象をみると、両肩の二つの顔はミカエルとルシファーを象徴しているようでもあり、彼はこの両天使を統合した存在であるように思われます。そのように考えると、この戦車のモデルはミカエルとルシファーの合体した存在なのでしょう。

また、神の意思を遂行するミカエルの重要な任務の一つに、死者が天国に行けるか、地獄に落ちるかの判決を下す審判の役割があるとされています。彼が人間界において活動する中で、個人が天国に行けるかどうかの審判も同時にしているのです。このことを明確に示しているのが、次の段階へと移行した8番「正義」のカードなのです。

◆ペアカード

第15番 悪魔:精神的成功者に対する物質的成功者

第17番 星:理想的男性に対する理想的女性の象徴とペア

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