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第15番 悪魔

誘惑

カルマ

15番悪魔

◆キーワード

《正位置》

誘惑、克服すべきカルマ、現世利益、欲による隷属、支配、詐欺、物質主義、金銭欲、煩悩、上昇志向、無知、偽の灯明、偽りのチャンス、試練、社会の厳しさ

《逆位置》

誘惑に気づかない、試練を克服できない、隷属状態、詐欺に合う、無知・無明、繰り返されるカルマ、騙されている、現世利益に囚われている、無責任、腐れ縁、貶められる、打算的関係、金銭問題、試練に気づいていない

◆悪魔の象徴

この15番のカードからは天界の領域となります。天界に入るための門を守るのは誘惑する悪魔です。この先へ進むには悪魔の誘惑に打ち勝てるかという試練が待ち受けているのです。天使としての使命を果たすためには、人間的な欲望に打ち勝たなければならないからです。この領域にたどり着いた者にあらゆる現世利益をもたらそうと誘惑者が現れます。悪魔というのは、欲望に満足してこれ以上進まないようにする役割を担います。しかし、悪魔の誘惑に乗ったが最後、彼はそのまま悪魔の奴隷となり、天界へ進むことはできないでしょう。

誘惑者の象徴である悪魔は人より高い台の上に乗っています。この台は黄色い丸と赤い台形の箱に支えられています。この形は日本では前方後円墳の形で知られていますが、天と地を表しており、この悪魔が天地のエネルギーを吸い上げ、さらには人の生命エネルギーをも吸い上げていることを表しています。また、悪魔はコウモリの羽を広げています。血を吸うとされるコウモリは、人生を搾取するという例えでもあり、また暗い洞窟の中で逆さまに休むことから、天の法則とは逆さまに生きているという象徴でもあります。さらに、頭には青色の鹿の角と赤い山羊の角が合体したような角が生えています。鹿の角はドラゴン(龍)の角であり、特別な力を持っているかのように相手に見せつけます。山羊は羊と似ていますが、羊のように羊飼いには従わず単独行動をとるため、人目を惹き魅力的に見えます。

額には第三の目のようなものがあり、人の欲望を読み取る能力にも長けているようです。目は寄り目になっていることから自己中心的であり、舌を出していることから彼の言葉は偽りであることを表しています。獣のような手には松明を持っています。一見、彼の言葉は希望の灯明のように感じられるのでしょう。彼の胴体は青色で、霊化しているようにも思えますが、手や足には獣性を残しています。特に女性性の特徴である乳房と、男性性の特徴である男根が強調されており、彼は両性具有であるかのように振る舞っていますが、それは作り物であるかのようです。また、腹の部分にも舌を出した顔が現れており、腹の中で思っていることと、実際に言葉にしていることが全く異なっており、両方とも舌を出していることから、そのどちらも真実ではないことを示しています。つまり、この悪魔のどこにも真実はないのです。膝にも目のようなものがあり、彼は他の人にはない自分だけの特徴を示して、自分は特別だと人を誘惑するのでしょう。悪魔は反キリストと呼ばれている存在であり、キリスト意識(愛)に反することがその役割なのです。

エリファス・レヴィによるバフォメット

バフォメット

牧神パン

牧神パン

この第15番「悪魔」のモデルはバフォメットとされていますが、おそらく元型は牧神パンではないかと推測できます。パンはギリシャ神話に登場する精霊で、上半身は人間で、下半身は獣であり、角があるとされていますが、一応オリュンポス神の一員と見なされています。羊飼いと牛の群れを監視し、シランクス(パンパイプ)という笛を好み、好色で、いたずら好きとされています。

パンにいたずらをされた人間はびっくりしてパニック状態となることから、パニックという言葉はパンが語源とされています。パンの好色でいたずら好きな面が、秩序を重んじる社会においては悪魔のように感じられるのかもしれません。人間の中にある善悪の判断のない本能的な性欲、面白ければいいとする感情、人々を驚かせてやろうといった願望はパン的なものなのかもしれません。しかし人はこの半人半獣のパンのような人物をセクシーで魅力的に感じるものなのです。ところがそれは刹那的な快楽に過ぎません。

この悪魔を見上げて崇拝している男女が綱に首を縛られて繋がれています。両手も縛られており、彼らは悪魔に支配され、隷属しているのでしょう。彼らは自らの意思でこの悪魔に縛られ、そしてそのことが幸福であると思い込んでいるようです。なぜなら、2人とも悪魔と同じような角をつけており、耳には獣の耳が生え、足も獣のようになっているからです。しかし彼らは悪魔を真似しているに過ぎず、悪魔にはなり切っていません。ただ、悪魔の手下として生きているのです。その獣の足は、真っ黒い大地に根ざしています。暗黒の大地は人間の欲望の本能的意識を表しており、彼らは自らの欲に縛られているのです。しかし、左側の女性の胸元には、三つの三角形を形作る円のマークが刻まれています。彼女は胸に何かを刻み、悪魔に繋がれながらも疑いの目を向けています。彼女は今まさに一見魅力的な悪魔の罠を見破ろうとしているのです。

この世には様々な誘惑が待ち受けています。欲望が強ければ強いほど、誘惑の試練が人生に降りかかります。この試練は大抵、人間の基本的な欲である富、名誉欲、性欲などを満たすチャンスという形で訪れます。

チャンスは自らで築き上げるものです。他人からチャンスがもたらされたと思う時には注意が必要です。チャンスと思うことは、自分を縛る要因になるかもしれません。このカードを引くとき、自分自身の夢を叶え、欲望を満たすことが本当に自分の人生を幸福にするのかどうかという判断力が試されているのです。

◆ペアカード

第8番 正義:真実を見る第三の目
第13番 無我:無意識を表す暗黒の大地
第19番 支配から脱出した状態
第21番 悪魔のロープの半円から楕円となった世界の完成

◆第16番 神殿◆

閃き

積み重ね

16番神の家

◆キーワード

《正位置》

閃き、天啓的導き、衝撃、積み重ねたことの結果、ブレークスルー、神の家、ウォークイン、聖霊降臨、スピリットとの一体化、組織、建造物

《逆位置》

閃きがない、驕りによる破滅、突然のトラブル、積み上げたことの崩壊、倒産やリストラ、事業の失敗、地位の失墜、ショック、崩壊

◆神殿の象徴

16番ライダー版神殿

この第16番のカードは、一般的には「塔」と呼ばれています。特に、ウェイト・ライダー版のカードでは、塔に雷が落ち、塔の中の人たちが突然の災難に逃げ出している様子が描かれています。この塔はバベルの塔の象徴とされ、稲妻が神の怒りであり、神が傲慢な人間に天罰を下したような構図となっています。おそらく、その前の「悪魔」の誘惑に負けた人々に対して、神の怒りが雷のような衝撃的災難となって降りかかり、人々の目を覚まさせるという象徴なのでしょう。しかし、この塔にはまた別の見方も可能です。

カモワン版タロットでは、塔に神の聖霊が降臨したかのように描かれています。雷のようなものには人の顔のようなものがあり、これは聖霊の降臨を表していることがわかります。斜めに傾いた王冠はこの塔が王城または神殿としての機能を持つことを示しています。カモワン版タロットでは、ウエイト・ライダー版の「塔」とは異なり、悪魔の誘惑に打ち勝った成果として、聖霊が降臨する様を描いているように思われます。

この状態は聖書にも表されており、キリストは聖霊が降臨した存在として知られています。また、クリスマスのサンタクロースは煙突から侵入するという言い伝えがありますが、煙突というのは人間の正中線に存在する筒のようなチャクラシステムのたとえであり、頭頂部から聖霊が降臨するということを示しているのです。

この16番の「神殿」のカードは、悪魔の誘惑に打ち勝つことで聖霊が降臨し、人間の体が神の依代(神殿)として戴冠している様を表現しています。神の依代(神殿)となったことで、一人の人物が神殿から這い出していますが、これは神の光の衝撃によってエゴが去ってゆくということです。また、神殿の手前の人物は足跡があることから、先ほどまでは地面を歩いていたのにこの衝撃的事件を目撃してひっくり返ってしまったのでしょう。一人の人間が神殿となることによって周囲にいた人々にも影響を与えるのです。

悪魔の誘惑に打ち勝った者には、神の光を受け取り、神と一体化するというイニシエーションが待っています。このようなことはキリスト教においては聖母の受胎としてよく知られており、古代から雷のような閃光となって聖霊が人間に降臨するということはあり得ることなのです。ギリシャ神話では、ゼウスの雷光、インドでは女性の聖なる性力(シャクティ)として伝えられています。日本においては、賀茂別雷命が玉依姫に丹塗り矢が刺さったことで受胎したとする伝説もあります。このような伝説は古代から世界中で語られています。つまり、人間は悪魔的な欲望から脱し、目覚めることで神の依代(神殿)として生きることができるということなのです。それを証拠に、この神殿の周囲には色とりどりの光が充満しています。

Jan_van_Eyck_「聖女バルバラ」
ヤン・ファン・エイク「聖女バルバラ」

この神殿には三つの象徴的な窓があります。三つの窓を象徴とする聖人に聖バルバラがあります。女性として初めて聖人に列せられたバルバラは、神の依代として生きた巫女の象徴なのかもしれません。

バルバラの父は異教徒の貴族でした。求婚者が後を絶たないバルバラに悪い虫がつかないように塔を建てて娘を閉じこめてしまいました。ところが、一緒に住まわせた侍女がキリスト教徒であったため、バルバラは彼女からいろいろな話を聞くうち、次第にキリスト教に心を傾けるようになります。そしてとうとう医師に扮した僧を塔の中に招き、ひそかに洗礼を受けてしまったのです。また、塔には窓が二つしかありませんでしたが、バルバラは父の不在中、職人に説いて三つ目の窓を加えさせました。

そして、帰宅した父親に「三つの窓は、父なる神と子なる神、それに魂を照らす聖霊を象徴します」と説いたため父親は激昂します。バルバラは、なんとか塔から逃れようとしますが、羊飼いによって発見されてしまい、父親の手でローマの総督に引き渡され、改宗を拒んだために拷問を受けることとなります。結局、それでも彼女は最後まで信念を曲げることがなかったため、父親の剣で斬首されてしまいます。しかし、その時に父親もまた稲妻に打たれて焼き尽くされて死んだと言われています。

古代では、神の宿った人はこのように迫害されていたことから、ウエイト・ライダー版では不吉な象徴として読み取られるのかもしれません。人間には光を闇とし、闇を光と判断する傾向があります。現世利益を求め、神に仕えるなどという人はほとんどいません。しかしどちらが正しくて、どちらが間違っているということではないのです。生きていく上では、現世利益も必要であり、心を満たすには神聖な愛もまた必要です。現世利益と聖なる愛の両方を受け入れたとき、人は本当の幸福を得ることができるのでしょう。

二つの窓の上にある中心の一つの窓は、善悪や光と闇、男と女といった矛盾する二元的要素を融合させて一段階上昇させる中庸を指しているともいえます。物事には二面的な側面があり、それらのどちらかを否定し、対立させるのではなく、融合させて全く別の一つの形を創造する方法を中庸と言います。このような中庸という技術を身につけて常に中庸を心がけることで、愛と豊かさの両方を備え、心が中心軸からブレることがなくなります。中心からブレるというのは、愛かお金かというように二者択一に心が揺れた時に起こるからです。

聖書においても「神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書第17章21節)と書かれていますが、これは相手と自分の間(中庸)に天国(幸福)があることを示しているのです。

人は二つの矛盾する側面の両方を融合する考え方(中庸)を実践していくことで、その身に聖霊が降臨する神殿となることができるのです。それはレンガを積み重ね高い塔を建設するような技です。長年の心がけにより中庸の塔が完成したとき、聖霊(ハイヤーセルフ)が降臨します。それは自己超越という瞬間であり、人間が神と一体化するという神秘なのです。このカードを引いた時、今までとは全く異なる人生へと導かれるのかもしれません。

◆ペアカード

第12番 逆さ吊り:逆さまの人
第18番 月:建造物

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