京都でも珍しい三柱鳥居のある通称「蚕ノ社」、正式名称「木嶋座天照御魂神社」を探訪致しました。秦氏一族が後世に残そうとした信仰と三柱鳥居の謎について迫ります。
- 蚕ノ社の真の祭神とは
- 三柱鳥居は生命の樹?!
- 白清稲荷社は再生の神を祀っている?!
蚕ノ社の真の祭神とは
正式名称は木嶋座天照御魂神社とされており、昔ここが木の生茂る丘のような場所であったのではないかと思われます。天照御魂とありますので、人の形を伴った天照大神というよりは、魂としての天照大神が祀られているということになります。
蚕ノ社の蚕が石碑では旧字体で刻まれています。天の部分の旧字体は二つの天の下に日があり、その下に虫があります。虫編というのは、昆虫を連想しが、本来は蛇を表したものです。つまりこの蚕という漢字は、まるで蛇を踏む聖母像のような状態を示している漢字ということになります。
蚕は「カイコガ」の幼虫なのですが、野生のカイコガというのはほとんど存在していないことをご存知でしょうか。養蚕で飼育されている蚕はすでに自生能力を失っており、人間の世話なしでは生きていくことができない昆虫なのです。成虫の羽は退化しており、飛ぶこともできません。人間に養われずに自力で生きることは困難なのです。
成虫となったカイコガは、全身が真っ白であり、その姿はまるで天使のようです。しかし人間に飼われるようになってから羽があるのに飛ぶことができないのです。このような蚕の生態は、羽衣を失った天女伝説と関係があるのではないかと推測しています。
羽衣伝説では、天女が人間に羽衣を隠されて天に戻れなくなったわけですが、この養蚕された蚕と境遇が似ており、蚕は天女の象徴として祀られているのではないかと私は思っております。現に、天照大神と機織の女性との関係は神話においても象徴的に描かれています。
もちろん歴史的には、木嶋神社は朝鮮半島を経由して渡来した秦氏一族の養蚕・織物の技術を持ち込んだ地ということで、蚕養神社が祀られているとされていますが、真理を象徴的に祀ることに長けた秦氏がそのような単純な奉り方をするはずもなく、本当に重要な存在を象徴的・暗示的に祀っているのではないかと思われます。
木嶋神社の祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)他四柱(よはしら)になります。天照御魂が祀られているのに、なぜ天之御中主神が祀られているのかということですが、天之御中主神は中心の柱を意味しております。八百万の神々の中でも中心ということです。
しかしその中心は、善や悪、光や闇といった二元的概念を克服した後に現れる根源神ともいえます。その証拠に、神社の社紋は花付き双葉葵であり、双葉葵の中心に真っ直ぐな柱が描かれており、その先端に花の蕾があります。
それは両極から新しく生み出された中心の柱に宿った花の蕾を表しています。中心の柱が天之御中主神を象徴しており、そこに実った蕾を天照御魂として祀っているということになります。
本殿の東側に蚕養神社があり、本殿に寄り添うように建てられております。蚕養神社は羽衣を失った天女を象徴しており、天と通じて天照の御魂を宿す御杖代としての巫女を表現したものであろうと思われます。
三柱鳥居は生命の樹?!
三柱鳥居は本殿左側にあり、三本の脚が繋がった珍しい鳥居です。上から見ると三角形の形をしています。三柱鳥居の下には山の形に石が積まれていて、かつてはこの場所から枯れることなく水が湧いていたそうです。
三柱鳥居を囲むようにある池は、元糺の池と言われており、周囲の森は元糺の森と言われています。糺の森は歴代斎王が祀られている下鴨神社にもありますが、この神社が元であることを示しています。
通常の鳥居は、二本の柱で構成されていますが、この二本の柱は陰陽と言ったように二極を表しており、善悪などのように二元的な状態を表しています。
しかし、この二元的な概念を統合して中庸的な考え方で生きておりますと、体の正中線に光が通り、人智を超えた智恵が沸き、頭頂部に聖霊が降臨するということが起こります。この三柱鳥居は、聖霊が宿った巫女の状態を示しているのではないかと推測しています。
つまり、この珍しい鳥居は二元から進化した新しい人間の状態を表したものなのかもしれません。創世記を記した聖書においても、エデンの東には、善悪の知識の木と生命の木の二本の木が存在していると記されています。
人間は善悪の知識の木の実を食べて賢くなったが、必ず死ぬという運命を与えられました。しかし生命の木の実を食べると人間は神の如く永遠に生きるようになってしまうと聖書には記載されています。
この三柱鳥居は、二本の柱の鳥居が象徴する善悪の知識の木から、三本目の柱を得た生命の木を表しているのではないかと私は考えています。
三柱鳥居から水が湧き出ていたというのは、その三柱鳥居が象徴する生命の木こそが命の源であるということを表しているのでしょう。
白清社は再生の神を祀っている?!
ここは蚕ノ社の境内の入り口付近に位置している白清社になります。稲荷神社であるにもかかわらず、朱色の鳥居はなく、その社(やしろ)は古墳のような形態をしています。それはなぜかというと、この稲荷社は元々、蚕の社の南側にある天塚古墳から移築されたからなのです。
この古墳の中の稲荷神は、まるで墓から再生する神を祀っているようにも思われます。蚕ノ社は太陽神を宿す巫女を象徴的に祀ったものであると考えていますが、蚕は聖母の象徴であり、この稲荷神は墓から復活するキリストを祀っているようにも思われます。
蚕ノ社はまるで聖書の世界を再現したかのような世界観を持っており、私にはこの信仰が近年伝えられているキリスト教ではなく、聖書に由来するとても古い原始的なものであると感じられます。
また、この白清社の稲荷神は後に、九島ちかさんという方の夢に現れ、元の天塚古墳に戻すようにというお告げがあったようで、今では天塚古墳とこの蚕ノ社の二箇所に祀られています。