- 意識はどこにあるのか
- ハートが魂の座
- 瞑想の基本は呼吸
意識を外側から内側へ
瞑想と言っても、ただ単に目を閉じて座っているだけでできるものではありません。また、瞑想によってとてつもない神秘体験をしようと考えていると間違った方向へ向かいます。瞑想を間違った方法でやると、精神を病む人もおります。
瞑想は人生に必須のものであり、生活の一部として一生続けていくものなので、正しい方法で行うために基本から順番に身に付けていく必要があります。
瞑想の基本は呼吸に集中することから始めますが、なぜ呼吸なのでしょうか。その明確な理由が示されたことはありません。今回は意識の本体はどこにあるのかという面から呼吸に集中させる意味を探求致します。
ハートが魂の座
私たちの意識はどこにあるのでしょうか。通常、私たちは脳で言葉に変換した意識を自分の意識だとして認識しています。しかし本当にその言葉による意識が私たちの生命そのものなのでしょうか。
例えば、失語症という症例がありますが、言葉を失っても生命を維持することはできます。また、脳死という状態で生き続ける人はおりますが、呼吸と血液循環が止まって生き延びる人はおりません。ということは、人の命は言葉で認識する意識とは異なるところにあるということになります。
では、私たちの生命とつながっている意識はどこにあるのでしょうか。それはハートにあるとされています。つまり心臓です。心臓は、中医学では「心は神を蔵す」とされており、神霊の宿る場所とされています。つまり私たちの精神はハートにあり、霊と繋がる臓器は心臓ということになるのです。心臓には言葉はありません。ですから、言葉による意識は雑念となります。瞑想においては、日頃脳にある顕在意識をハートにシフトさせる必要があります。
瞑想の基本は呼吸
瞑想の基本は呼吸です。呼吸を止めると人は5分ほどで死に至ります。つまりこの呼吸こそが生命のあるなしを担っていると言えます。
古代中国では、心臓が君主の座とされていました。事実、心臓が止まると完全に生命は絶たれます。キリスト教でも、キリストが自分の心臓を指差しているイコンはたくさんあります。自分の救い主は、心臓にあるという意味です。自分の主の坐する場所であるので、肺はその最も大事な心臓を補佐する右補・左弼(君主を補佐する臣)とも言えます。
心臓は自分の意思で止めたり動かしたりはできません。つまり心臓は私たちの意思ではどうにもならないということです。しかし、その君主を補佐する肺が担う呼吸は、自分の意思でコントロールすることができます。心臓である君主の話を聞くには、まず君主を補佐する肺に意識を集中させる必要があります。このような理由から、瞑想の基本はまず呼吸に意識を集中するというところから始めます。