あらゆる教えが重要視している「中庸」ですが、中庸を分かり易く説明したものとしてインド哲学の「3つのグナ(トリグナ)」という考え方があります。第3回目では、この「トリグナ」について説明します。
- 世の乱れは心の乱れ
- 3つのグナとは
- 瞑想が心を整える
世の乱れは心の乱れ
現在は末法の世と思われますが、世間というのは結局は人の心の集合体であり、人々の心の乱れが社会に反映されます。社会が混乱するのは、人々の心が乱れているからとも言えます。逆に言えば、人々の心が安定していれば、社会も落ち着き、安定したものとなるはずです。
古代の賢人は、人は世界と有機的に繋がっていて、少人数でも心の安定した人物があれば世界に影響を及ぼすことができるということに気づいていました。そこで、全体のために一人一人が心を平穏へと向かわせるために心の修養を行っていたのです。外界の状況に心を乱さず、一人一人が心の平穏を保つことで、社会を安定したものへと移行させることができます。
3つのグナとは
心の平穏を保つためには、心の状態を客観視するための目安が必要です。その目安となるものにインド哲学の「3つのグナ」という考え方があります。グナとは、要素や性質といった意味があります。「3つのグナ」には以下のような意味があります。
- ラジャス:
- 激質(積極的、攻撃的、刺激、貪欲、奮闘など)
- タマス:
- 鈍質(消極的、受動的、抵抗、停止、怠惰など)
- サットヴァ:
- 純質(積極と消極のバランスの取れた状態、明晰、的確など)
「ラジャス」と「タマス」は真逆な性質でありますが、誰もが両方の性質を持ち併せています。通常、人はこの両方の性質をバランスを取りながら人生を送ります。ところが、「ラジャス」の状態または「タマス」の状態が長く続くと、人はそれが自分の個性であり、特性であると思い込みます。しかし、それは個性ではなく、単に極端に偏った状態が長く続いているだけなのです。その状態が長期間に及ぶと、人生に様々な問題をもたらします。
瞑想が心を整える
「ラジャス」と「タマス」という状態は偏った状態であり、偏った状態であることを認識し、その両極端のバランスをとる必要があります。このバランスが取れた状態のことを「サットヴァ」と言い、心が「サットヴァ」の状態であるときに初めて心は明晰な状態となります。心のバランスをとるには、現在の状態を客観視する「瞑想」が必要となります。